2024年09月19日06:15 | 来源:人民网-人民日报
原題:南海西北陆坡一号沉船考古新发现(考古进行时)
2024年、南海西北陸坡一号沈船において第三段階の深海調査を行った。5月に行われた16度にもわたる潜水で、最も心躍る発見は「丙寅年造」の紅緑彩碗である。
この碗の内側には赤と緑の彩色で描かれた酒に酔った仙人の姿、外腹部には赤と緑の彩色で描かれた幼児の遊ぶ模様、外底には赤色の枠内に「丙寅年造」の銘が見える。
丙寅年といえば明の正徳元年(1506年)に相当し、この年は36歳の唐寅が蘇州城の外で桃花庵を築き、「六如居士」と名乗っていた頃である。この時、彼は有名な詩『桃花庵歌』を完成させ、『騎驴思帰図』を描いた。
また王陽明は貴州の龍場にある洞窟に住まいを構え、「陽明小洞天」と名付けている。この期間、彼は『教条示龍場諸生』を書き、それは歴史上「龍場悟道」と呼ばれている。
明代中期の文人の芸術的成果と美意識は、陶磁器に多方面から影響を与えた。唐寅の山水画、花鳥画、人物画などの作品が陶磁器の装飾に取り入れられ、陶磁器の芸術表現がさらに豊かで多様になった。王陽明は内面的な修養と体悟を重視し、陶磁器のデザインや装飾は外面的な美しさだけでなく、内面的な精神の表現にも重点が置かれるようになった。
文人の美意識が陶磁器のデザインや制作に浸透し、明中期の民窯陶磁器は実用性だけでなく、歴史的または文化的な価値においても新たな高みに達している。
深海考古で出土した文物には、「仙人乗槎」「翼龍戯珠」「松竹梅石」などの装飾は清雅で洗練されており、「一鷺蓮科」「太平有象」といった文物の形状には深い趣がある。
「一鷺蓮科」は蓮の花と鷺の姿が組み合わさっており、「鷺」は「禄」と同音で、「蓮」は「連」と同音、「科」は科挙を表している。「太平有象」は国家の平和と民の安居楽業を象徴しており、大象の体型は雄大で姿勢が端正で、「象」は「祥」と同音で、吉祥を象徴している。
また、水中考古で初めて発見された珐華器は、工芸が複雑で色彩が鮮やかで、「黄は金箔のよう、紫は茄子の衣、青は水晶のよう、緑は翡翠のよう」と評されている。これらの文物は、デザイン、題材、釉色から工芸まで、文人の美的追求を反映し、明中期の海上貿易の繁盛を表しているといえる。
明中期に市民文化が興隆する中で、景徳鎮の民窯にはどのような変化があったのだろうか?
正徳年間、景徳鎮の「吴文」などの手工房が興隆し、「吴文」などの職人は伝統的な陶磁器の精髄を受け継ぎ、その基盤の上で独自の芸術的革新を行い、景徳鎮陶磁器に新たな活力を吹き込んだ。
景徳鎮の陶磁器はその精巧な工芸と多様な釉彩で知られ、紅緑彩碗はその典型的な器物である。紅緑彩は白磁の胎上に赤と緑の二色の釉彩を施す装飾技術で、成形、施釉、彩色、二次焼成などの工程が含まれる。
海上貿易の興隆に伴い、紅緑彩碗などの景徳鎮特有の陶磁器は海上シルクロードを通じて世界各地に輸出された。再び訪れる東北季風に乗って、「丙寅年造」の銘がある紅緑彩碗は数十万点の陶磁器と共に船で南下した。しかし、予期せぬ事態が発生し、この船は南海西北陆坡の海域に永遠に留まることになってしまった。
「丙寅年造」の紅緑彩碗の発見は、一号沈船の具体的な年代の謎を解き明かした。明らかにこれは、西方の大航海が盛んになる時期に、中国が南海の海上貿易を主導していたという歴史の証である。
この青い海域では、かつて南島語族の独木舟が行き交い、壮大な鄭和の艦隊が訪れ、数えきれない挑戦者たちが海を越えてきた。多くの帆船を見尽くした歴史の大海原が眼前に広がっている。まだいくつもの謎があり、考古学者たちはその解明を待ち望んでいるのだ。