原題:山东省荣成市东楮岛村:百年渔村 诗意栖居 《光明日报》( 2024年09月01日 05版)
夏の盛りに、山東省威海市の千里山海線に沿って南下し、上溝湾の南端に達したら馬沙線から東へ陸地の端に向かうと、中国で最も美しい漁村のひとつ、栄城市の東楮島村がある。 三方を海に囲まれたこの場所は、岸辺に打ち寄せる波の音が聞こえ、朝日と夕日を眺めることができる漁師村の風格を漂わせている。
明の万暦年間に開かれたこの小さな村には、400年以上の歴史がある。 古来、この島には楮の木が生い茂り、風や日差しを遮り、水や土壌を良好な状態に保ってきたため、この名前が付けられた。 東楮島は陸続きの島ではあったが、1966年に島を結ぶ道路が建設されるまでは、「七里の浜辺からも八里の崖からも携帯食なしでは帰れない」という俗語があった。
東楮島村の海岸線は10キロメートル、良質の砂浜は5キロメートルで、周囲には北鵬石、寧津連石島、石地子、老郷石、石燕子、白石島など大小さまざまな島や岩礁があり、断崖絶壁や奇岩岩礁があり、海、島、湾、岩礁、岩石、砂浜などの海洋景観を形成している。
東楮島集落で最も特徴的なのは、海草を葺いた家屋が並んで建っていることだ。 『榮城県誌』には、「瓦家屋はほぼ見られず、大半の家は石造りで、茅で覆われ、海草で葺かれ、風雨をしのいでいて、内外の区別は比較的はっきりしている。」とある。
石壁と海草の屋根を持つ“海草房”は、尖った屋根とふわふわした質感が特徴で、膠東沿海地区の代表的な伝統住居であり、非常に地域に根差した様式である。 現在、東楮島村は膠東地区で最も保存状態の良い海草房の村である。
「この村で最も古い海草房は清朝の順治年間に建てられたもので、300年以上の歴史があります。 村には144世帯、650棟の海草房があり、総床面積は約9065平方メートル、そのうち100年以上の海草房は83世帯、442棟です」
東楮島の村幹部、王海燕はすらすらと村の家屋数を答えた。
東楮島集落の海草房は北に位置し、南向きである。家屋の構造は傾斜に沿って東から西へと広がり、主に三合院や四合院などで構成されている。 村の発展の証人として、何世代もの住民の生活の痕跡を残し、村の変化と歴史を目撃している。
「我が家は200年以上にわたって代々受け継がれてきたし、私の夫の祖父もここで育ちました。 海草房の最大の利点は、冬は暖かく、夏は涼しいこと、そして100年間腐らないことです」と王海燕は語り、記者を彼女の住む海草房に招き入れた。門外にある「祖屋民宿(祖先から受け継いだ民宿)」の看板は、その歴史を示しており、建物は清新かつ優雅で、独特の静謐さと心地良さを備えていた。
1980年代以降、東楮島村では海の生態系を保護するために海草房を建てることが禁じられた。 東楮島集落は、縦横垂直に交わる網の目状の路地を発達させ、集落の独特な地域性、現代性、郷土性を際立たせている。 緑豊かな石畳の路地に足を踏み入れると、海草房に込められた漁民文化の長い歴史が迎えてくれる。連山胡同を通り抜けると、新鮮かつ潤いのある空気の中に茫洋たる海の香りが漂う。
2007年、東楮島村は“中国歴史文化名村”に選ばれ、栄城市は海草房の保護と修復、村の環境改善と美化、市政に基づくインフラの整備など、一連の保護活動と修復作業を行った。
この静かで素朴な小さな漁村は、多くの観光客を迎え、いまだかつてない発展の契機を迎えている。
海上観光、漁業体験などの参加型観光プロジェクトが数多く立ち上げられ、この伝統的な村の存在意義を豊かにしている。 東楮島村では、観光客は自ら漁業や海釣りを体験し、旬の海産物を味わうことができる。 船に乗れば、飛んでいるカモメに手を伸ばして触れることができ、海の恵みと自然の妙味を感じることができる。
東楮島村の歴史的・文化的価値は深く掘り下げられ、豊かになっている。 また、村人たちが次々と海草房を修復・整備し民宿を経営したことで、多くの若者が戻ってきた。
90年代生まれの畢明偉は2019年に帰郷した、家族の海草房を「星と海」をテーマにした民宿に改装するとすぐに人気がありすぎて予約困難な“網紅”の民宿となった。 「宿泊施設に船、漁網などの海洋要素を取り入れることで観光客は漁師の強靭な生活文化や自然の美しさを体験することができ、ご好評をいただいています」
海草房から出てくると既に夕方だった。 東楮島村を抜け、のんびりと海岸線を歩いていると、潮風が顔をなでる。 海に面し、春には花が咲き乱れる、これこそ人々が追い求める詩情と遥かな場所なのである。
全国各地に特色のある伝統的な民家を利用した宿泊施設があります。
外国語対応は難しいことも多いですが、中国語である程度コミュニケーションが
とれるのなら、宿泊してみるのも楽しいですよ♪