2024年11月23日08:38 | 来源:中国新闻网
原题:良渚古城粮食肉类全靠“进口”?专家:城乡分野明确
「良渚社会には明確な都市と農村の区別が存在する」と、11月22日に浙江省文物考古研究所の研究員であり、科技考古室の主任を務める王寧遠が「考古中国」重大プロジェクトの重要進展会議で発表した。王寧遠は、良渚古城が「さまざまな資源が外部から集まる都市」であり、「人口は地域を超えて集積する都市で、その影響力と発展度は想像を超えている」と述べた。
現場での調査結果によると、良渚文化は、中国の5000年以上にわたる文明史の重要な証であり、約5300~4000年前の環錢塘江地域に分布し、黒陶や磨光玉器を代表とする新石器時代後期の文化である。浙江省杭州に位置する良渚遺跡は、良渚文化の中心的な遺跡であり、2019年7月6日、良渚古城遺跡はユネスコの世界遺産に登録された。
「多角的な研究により、良渚古城内には稲作田が一切存在しないことが明らかになった」と王寧遠は述べた。考古学的な調査によると、良渚古城内の住民は貴族や宗教関係者を除き、主に玉器、漆器、骨角器、石器などを製作する高級工芸職人であり、農民の痕跡は見つかっていないという。
では、良渚古城が「輸入」に依存する都市であったことをどう証明するのだろうか?
「多角的な研究は、良渚社会の理解を深める大きな手助けとなった」と王寧遠は述べ、池中寺の倉庫の研究を例に挙げた。その灰の中から発見された20万斤の炭化した稲穂のDNA分析では、少なくとも6つの異なる産地が確認され、稲米が異なる地域から輸入されていたことが示唆された。
また、良渚古城で発見された豚骨のストロンチウム同位体分析も行われ、3つの異なる産地が確認され、そのうち1つは嘉興地域にまで及んでいる可能性がある。さらに、安定同位体とDNA分析を通じて、良渚古城内には中原や海岱地域から来た個体が発見され、文化圏を越えた人々の移動が確認された。これらの研究により、良渚社会の多様性に対する理解が深まった。
次に、良渚社会がどのように発展していったのかについても調査が行われた。研究チームは、約6000年前、長江下流域の社会複雑化が進み、凌家灘や東山村などの中心的な集落が出現し、古国時代の第一段階に入ったことを発見した。
例えば、凌家灘遺跡では、大規模で高位の公共建築や墓地の西側にある祭祀の痕跡、外側の堀の発掘が行われ、凌家灘集落の配置に関する理解が深まった。
良渚遺跡は古国時代の第二段階を代表するものとされている。
現在、良渚遺跡は遺跡調査と詳細な探索がほぼ完了しており、新たに20以上の水門が発見され、完全な水利システムの構造が明らかになった。また、良渚遺跡群で発見された遺跡の数は300以上に増加している。
ストロンチウム同位体分析について
ストロンチウム同位体(Sr同位体)と炭素同位体(C同位体)の測定は、いずれも考古学や地質学で使用される分析手法だが、それぞれの特性や用途にはいくつかの重要な違いがある。
ストロンチウム同位体分析は、主に地理的起源や移動経路を追跡するために使用され、長期的な地域的履歴に関する情報を提供する。
炭素同位体分析は、主に食物源を特定するために使われ、食生活や生態的な環境に関する情報を提供する。
このように、両者は異なる特性を持ち、用途や測定方法も異なるが、いずれも考古学や人類学などの研究において貴重な情報を提供する重要な手段である。